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すべての物は、光っている ── 熱放射とサーマルカメラ

2026.07.11

前回は、光をこちらから出して、返事の遅れで距離を測った。今回は、何も出さない。真っ暗な部屋でも、サーマルカメラには部屋が「見える」── すべての物は、温度を持つかぎり、自分で光っているからだ。体温の光は波長9µm。目に見えないだけで、君はいまも光っている。プランク曲線の読み方から、熱の流れを電圧に変える画素、そして眼鏡が黒く抜ける理由まで。「光で測る」三部作の二歩目。

▶ 熱放射ラボを全画面で開く

前回は、光をこちらから出して、返事の遅れで距離を測った。あのセンサは、光を出さなければ何も見えない ── 当たり前に聞こえる。

でも、サーマルカメラは違う。真っ暗な部屋、照明も月明かりもない部屋で、何も照らさずに、部屋の様子が「見える」。人がいれば人の形に、湯呑みがあれば湯呑みの形に。── 照らしていないのに、どうして見えるんだろう。

答えは、拍子抜けするほど根本的だ。見えるのは、向こうが光っているから。 人も、湯呑みも、机も、壁も ── 温度を持つものは、みんな、自分で光を出している。目に見えないだけで。

温かいものは、なぜ光るのか

温度の正体は、原子や分子の揺れだった。温かい物ほど、中の粒が激しく揺れている。そして、粒の中には電荷がいる ── 電子や、イオン。揺れる電荷は、電磁波を放つ。アンテナが電流を揺らして電波を出すのと、骨は同じだ。

だから、温度を持つ物はかならず、その揺れに応じた電磁波 ── 熱放射 ── を出す。これは特別な物の特別な性質じゃなくて、温度がある、というだけで避けられない。氷も光っている(弱く、長い波長で)。君も光っている。この記事を読んでいるいまも。

じゃあ、どんな光を、どれくらい出しているのか。それを一枚の曲線にしたのが プランク曲線 だ。細かい式は要らない ── 読み方は、二つだけ覚えれば足りる。

その一:熱いほど、全体が明るくなる。 しかも猛烈に効く ── 出てくるエネルギーの合計は、絶対温度の4乗に比例する(ステファン・ボルツマンの法則)。温度を2倍にすると、明るさは16倍。

その二:熱いほど、山が短い波長へ動く。 いちばん強く光る波長 λmax\lambda_{\max} は、温度に反比例する:

λmax2898T [μmK]\lambda_{\max} \approx \frac{2898}{T} \ [\mu\mathrm{m}\cdot\mathrm{K}]

── TT は絶対温度(K)、λmax\lambda_{\max} はマイクロメートル。言っていることは「温度で2898を割ると、いちばん光る波長が出る」── 道具としては、これで全部だ(ウィーンの変位則という)。

数字を入れてみよう。体温は約310K。2898÷3109.32898 \div 310 \approx 9.3 ── つまり君がいちばん強く光っているのは、波長 9.3µm あたりの赤外線だ。目が見える光は0.4〜0.8µmだから、桁が一つ違う。見えないのは、光っていないからじゃなく、目の守備範囲の外で光っているから なんだ。

逆に、太陽の表面は約5800K。2898÷58000.52898 \div 5800 \approx 0.5µm ── ちょうど可視光のど真ん中で光っている。私たちの目がこの帯域を「見える」ことにしたのは、たぶん偶然じゃない。いちばん豊富に降ってくる光に、合わせてある。

下のラボで、温度のスライダーを動かしてみて。氷から体温、はんだごて、電球、太陽まで ── 山が動いて、高さが跳ね上がるのが一目で分かる。体温に合わせたとき、山がどこにいるかを見てほしい。

サーマルカメラは、9µmの目

サーマルカメラの正体は、これでもう言える。波長8〜14µmの帯域だけを見る、特殊な目 だ。

この帯域(長波赤外・LWIRと呼ばれる)が選ばれたのには、二重の理由がある。ひとつは、いま見たとおり、常温の物 ── 人、機械、建物 ── の山がちょうどここに来ること。もうひとつは、空気がこの帯域の光を あまり吸わない こと(大気の窓という)。出た光が、吸われずにカメラまで届く。測りたい光がいちばん強く、しかも通り道が開いている ── いい窓を選んだものだと思う。

熱の流れを、電圧に変える

では、その9µmの光を、どうやって「感じる」のか。

前回のSPADは光子を1個ずつ数えた。サーマルカメラの画素の多くは、もっと素朴なことをする ── 温まるのを待つ んだ。

机の上で使える小さなサーマルセンサ(MLX90640など)の画素は、サーモパイル という。仕組みの芯は、2種類の金属(や半導体)を接いだ点に温度差があると、電圧が生まれるという現象 ── ゼーベック効果だ。温度計でおなじみの熱電対と、親戚にあたる。

画素に赤外線が当たる → 画素の膜がほんのわずかに温まる → 膜と土台のあいだに温度差ができる → 電圧が出る。光を測っているようで、実は熱の流れを測っている。だから応答はSPADよりずっとのんびりで、毎秒数コマ〜数十コマ。でも、冷却も特別な光学系も要らずに、指先サイズのチップに 32×24 = 768個 の画素が載る。

ここで、数字をひとつ転がしておきたい。サーマル画像では顔がくっきり白く浮かぶから、顔は壁より 桁違いに 明るく光っている気がする。確かめてみよう。部屋の壁が20℃、絶対温度で 293293K。顔の表面はだいたい33℃、306306K。放射の合計は絶対温度の4乗に比例するから、明るさの比は

(306293)41.19\left(\frac{306}{293}\right)^4 \approx 1.19

── 2割弱しか違わない。4乗は「猛烈に効く」と言ったけれど、それは温度が倍・半分と大きく動くときの話で、日常の温度差では、放射の差は案外つつましい。顔があんなにくっきり見えるのは、光り方が桁で違うからではなく、カメラがこの2割の差を丁寧に拾って、目盛りいっぱいに引き伸ばしているからだ。

だから、丁寧さが要る。768個の画素は、一個ずつ感度もクセも違う ── 2割の信号を拾うのに、画素ごとの個体差がそれより大きかったら、話にならない。この手のセンサが、工場で一個ずつ測った「個性の地図」(較正データ)をチップ内のメモリに焼いてから出荷されるのは、そのためだ。センサを読むときは、生の電圧をこの地図で補正して、はじめて温度になる。既製品のカメラでは全部裏でやってくれるけれど、生のセンサを自分で読むと、この地図と対面することになる ── 面倒だけれど、「測るとはどういうことか」が一段よく見える面倒だ。

眼鏡は、なぜ黒く抜けるのか

サーマルカメラで人の顔を映すと、面白いことが起きる。顔は明るく(温かく)映るのに、眼鏡のレンズだけが真っ黒 に抜ける。目のあたりに、冷たい二つの穴が開いたように。

種明かしはこうだ。ガラスは、可視光には透明だけれど、波長9µmの赤外線にはほぼ不透明 で、しかも表面がよく反射する。だからレンズは、その奥にある目の温かい光を通さない。代わりに、周囲の(たいてい冷たい)景色の映り込みを見せる。可視の目とLWIRの目では、「透明」の意味がまるで違う ── 材質の透明・不透明は、物の性質と光の波長の 組み合わせ で決まるものなんだ。

そしてこれは、無い所が、形を語る の実例でもある。眼鏡の形は、光っている所ではなく、光が来ない所 として浮かび上がる。届かない、という情報が、輪郭を描く。

同じ理由で、ピカピカの金属もサーマルカメラの苦手客だ。よく磨かれた金属は熱放射をあまり出さず(放射率 が低い、という)、代わりに周りを映す ── LWIRの鏡になる。熱い鍋の側面が「冷たく」映ったら、それは鍋の温度ではなく、映り込んだ天井を見ている。サーマルカメラが見ているのはあくまで 表面から届いた放射 で、それを温度に読み替えるときには「その表面がどれくらい素直に光る材質か」(放射率 ε\varepsilon、肌なら約0.98、艶消し塗装なら約0.95)という仮定が、いつも一枚挟まっている。数字を信じる前に、その一枚を思い出す価値がある。

机の上で、本物を

これも前回と同じで、市販の部品で確かめられる。MLX90640(32×24のサーモパイルアレイ)と Raspberry Pi Pico を I²C でつなぐと、768画素の「温度の場」が毎秒2コマ、ブラウザに流れてくる。サーマルビューアに、実機がなくても触れるデモを置いてある ── 実機をつなげば、最初に映るのはたぶん、君自身の顔だ。眼鏡をかけていれば、あの黒い穴も一緒に。

ひとつだけ実用の注意 ── このセンサは3.3V専用で、5Vをつなぐと壊れる。配線表はビューアの中に。

── これで、目が二つ揃った。前回のToFは「そこまでの 距離」を測る目。今日のサーマルは「そこの 温度」を測る目。どちらも立派な目だけれど、一人ずつでは、実は思い違いをする ── ToFは近づいてきたのが人か箱か区別できないし、サーマルは温かいものが目の前にいるのか遠くにいるのか分からない。

次回、この二つを 重ねる。すると、どちらか一方では原理的に見えなかった区別が、浮かび上がってくる。