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場は、どこで渦を巻くか ── 循環とcurl

2026.06.25

③のガウスが「面で囲って湧き出しを数える」道具なら、その双子は「輪で囲って渦を数える」道具だ。流れに小さな羽根車を浮かべて、回る所と回らない所を見る ── まっすぐな流れでも羽根車が回る、という驚きから、循環と curl、そして②でやり残した『一周ぶん』の話へ。

▶ 羽根車と循環のラボを全画面で開く

② 電位 の最後に、ひとつ宿題を置いたまま来た。電場の中を電荷がぐるっと一周して戻ると、行きで預けたぶんを帰りで全部引き出すから、一周ぶんの仕事はきっかりゼロ ── 記号で書けば Edl=0\oint \vec E\cdot d\vec l = 0。この「一周ゼロ」のおかげで、各点に高さ(電位)を一つ貼れた、という話だった。

でも、そのすぐ後にこう続けた ── 場が時間とともに変わりはじめると、この「一周ゼロ」が揺らぐ。一周して戻ったのに、仕事がゼロにならない瞬間がある、と。その「一周ぶん」を宙ぶらりんにしたまま、②を閉じていた。

今日は、その 「一周ぶん」を正面から道具にする。一周してどれだけ戻ってこないか ── これを測れるようになると、場の中に隠れた「渦」が見えてくる。そして、それは偶然じゃなく、③ ガウスの法則 でやった「囲んで数える」の、ちょうど双子だ。③は で囲って、外へ湧き出す量(フラックス)を数えた。今日は で囲って、まわりを巡る量を数える。面と輪 ── 場を読む道具が、これで両輪そろう。

一周ぶんを、名前で呼ぶ ── 循環

まず、②で書いた Edl\oint \vec E\cdot d\vec l を、電気から少し離して、もっと一般の「流れ」で考える。各点に矢印が刺さった地図 ── ベクトル場 v\vec v ── があるとして、その中に閉じた輪っかを一本、描く。その輪に沿ってぐるっと一周しながら、各歩で「進む向きに、流れがどれだけ押してくれたか」を足し集める。これを 循環(じゅんかん) と呼んで、こう書く:

Γ=vdl\Gamma = \oint \vec v\cdot d\vec l

記号を一つずつほどこう。dld\vec l は「輪に沿ってほんの少し進む、その歩み」。vdl\vec v\cdot d\vec l の「\cdot」は、②でも出てきた 内積 で、「流れ v\vec v のうち、進む向きぶんだけを取り出す」という印だ(流れが進行方向と同じ向きならまるごと足され、横向きなら効かない、逆向きなら引かれる)。そして \oint の丸は「閉じた道で一周して足す」という合図。── つまり全体で、いつもの三段に開けばこうなる。

②の Edl\oint \vec E\cdot d\vec l は、この循環の電場版だったわけだ。②では「電場なら、これはいつもゼロ」と分かった。じゃあ、ゼロにならない流れって、どんな流れだろう。── それを見るのに、いちばん素直な舞台がある。水だ。

流れに、羽根車を浮かべる

②で電気をいったん力学まで降ろしたように、ここでも電気を離れて、流れる水に降りる。「回っている」を、目で確かめられる場所だからだ。

道具は、小さな 羽根車 ひとつ。風車のミニチュアみたいに、軸のまわりに何枚かの羽根がついた、手のひらより小さなやつを想像してほしい。これを流れにそっと浮かべる。羽根車が、その場でくるりと自分の軸を回しはじめたら、そこには「回転」がある。 回らずにただ流されていくだけなら、そこに回転はない。

これは、さっきの循環を「一点で」感じ取る測定器だ。羽根車のまわりの小さな輪を、流れが一周ぶん押していれば、羽根車は回る。押しが釣り合っていれば、回らない。── では、いくつかの流れに浮かべてみよう。

まず、一様な流れ。川の真ん中のように、どこでも同じ向き・同じ速さで水が動いている。羽根車は下流へ流されていくけれど、回らない。左の羽根も右の羽根も、上の羽根も下の羽根も、まったく同じ強さで押されるから、回す力が釣り合ってしまう。循環はゼロだ。

次に、いかにも「回ってそうな」。排水口の上のように、水がぐるぐる巻いている。これは当然、羽根車も巻き込まれて回る。循環はゼロじゃない。── ここまでは、直感どおり。

問題は、その間にある、地味な流れだ。

まっすぐでも、回る ── 回転は「隣との速度差」

ずり流れを考える。水は まっすぐ 同じ向き(右)に流れている。ただし、上のほうが速くて、下のほうが遅い。川で言えば、岸に近いほど遅く、中央ほど速い、あの感じだ。

ここに羽根車を浮かべると ── 回る

ちょっと意外じゃないだろうか。流れはどこを見てもまっすぐ右向きで、少しも曲がっていない。なのに羽根車は回る。理由は、羽根車の上側と下側で、押される強さが違うからだ。上の羽根は速い流れに強く押され、下の羽根は遅い流れに弱く押される。上だけ強く右へ送られれば、車はころりと回りはじめる ── ちょうど、ベルトコンベアの段差にペンを置くと、速い側に引かれて転がるように。

上:速い 下:遅い 羽根車は回る
まっすぐな流れでも、上下で速さが違えば羽根車は回る。回転は「流れが曲がること」ではなく、「隣り合う場所の速度差」で決まる。これが、目に見える渦がなくても“回転がある”という状態だ。

ここが、この回のいちばん大事な一歩だ。「回転」は、流れがぐるぐる巻いていることじゃない。隣り合う場所の、速度の差のことだ。 まっすぐな流れにも回転は潜むし、逆に ── これは脱線だけれど ── 排水口の渦のように見るからに巻いていても、流れの巻き方しだいでは、運ばれていく羽根車自身は自転しないことすらある(外側ほど遅く巻く特別な渦だと、押しがちょうど釣り合う)。見た目の「回ってる感」と、羽根車が拾う局所の回転は、別物なんだ。── と、つい話したくなるけれど、いまは「羽根車が回るか・回らないか」だけ握って、先へ進もう。

一点に絞る ── curl(回転)

循環 vdl\oint \vec v\cdot d\vec l は、輪っかを一本決めて初めて計算できる量だった。大きな輪で測れば大きく、小さな輪で測れば小さく出る。これだと「場所」ではなく「輪」の量だ。羽根車は、もっと一点の話をしている ── その場所そのものが、どれだけ回す力を持っているか。

そこで、輪をどんどん小さく縮めて、一点に絞る。ただし小さい輪は循環も小さくなるから、輪が囲む 面積で割って おく。こうして「一点あたりの循環」を取り出したものが、回転(curl、カール) だ。

回転(curl)=lim一点 vdl輪が囲む面積\text{回転(curl)} = \lim_{\text{輪}\to\text{一点}}\ \frac{\oint \vec v\cdot d\vec l}{\text{輪が囲む面積}}

回転は、向き(羽根車の軸の向き)と大きさ(回る速さ)を持つから、本当は ベクトル で、×v\nabla\times\vec v(ナブラ・クロス)とも書く。けれど、いま水面の上で考えているような平面の話なら、軸は紙面に垂直と決まっているので、向きは「時計回りか、反時計回りか」の符号ひとつ、大きさは「回る速さ」ひとつ ── つまり 数ひとつ だと思って構わない。重たく身構えなくていい。curl とは「その点に置いた羽根車が、どっちにどれだけ回るか」── それだけの量だ。

ガウスの双子 ── 面で囲う/輪で囲う

ここで、一歩引いて見ると、③でやったことと、いまの話が、きれいに対になっているのに気づく。

③(と)では、閉じた面で囲って、外へ貫いて出ていくフラックスを数えた。そして「面ぶんのフラックス=中に詰まった 湧き出し(発散) の総和」だった ── これがガウスの法則(発散の定理)。湧き出しは、面で捕まえる。

今日は、閉じた輪で囲って、まわりを巡る循環を数えた。そしてまったく同じ理屈で、「輪ぶんの循環=中に詰まった 渦(回転) の総和」が成り立つ。こちらには ストークスの定理 という名前がついている。渦は、輪で捕まえる。

vdA=(中の湧き出し)ガウス:面で囲うvdl=(中の渦)ストークス:輪で囲う\underbrace{\oint \vec v\cdot d\vec A = \sum(\text{中の湧き出し})}_{\text{ガウス:面で囲う}} \qquad\qquad \underbrace{\oint \vec v\cdot d\vec l = \sum(\text{中の渦})}_{\text{ストークス:輪で囲う}}

③ 面で囲う=湧き出し ④ 輪で囲う=渦
双子の道具。ガウス(発散の定理)は「面ぶんのフラックス=中の湧き出しの総和」、ストークス(回転の定理)は「輪ぶんの循環=中の渦の総和」。外周をぐるりと数えるだけで、中身が分かる ── という構造が、面の話と輪の話で、そっくり繰り返されている。

外周をなぞるだけで中身が分かる、という同じ知恵が、片や面・片や輪で、二度くり返されている。③で「囲んで数える」が気持ちよかったなら、こちらも同じ気持ちよさのはずだ。

発散と回転 ── 場の、二つの素

なぜ、わざわざ「発散」と「回転」の二つを道具にするのか。── それは、ベクトル場が局所で持てる“癖”が、突き詰めるとこの二つしかないからだ。

ある点で、流れは 湧き出しているかもしれない(発散)。あるいは 渦を巻いているかもしれない(回転)。この二つは、まったく別の癖で、片方だけ持つこともできる。

湧き出す(発散○・回転✕) 放射状=羽根車は回らない 回る(発散✕・回転○) 巻く=羽根車は回る
流れが局所で持てる二つの癖。発散(湧き出し)と回転(渦)は独立で、どちらか片方だけを持つ流れがある。じつは、ある場所での発散と回転さえ決めてしまえば、場は決まる ── 場を読むには、この二つを別々に捕まえればいい。③で発散の側を、今日④で回転の側を、道具にしたことになる。

少し踏み込んだ言い方をすると ── どこでどれだけ湧き出し(発散)、どこでどれだけ渦を巻くか(回転)、その二つさえ決めれば、場の形は決まってしまう。だから場を読むには、この二つを別々に捕まえる道具があればいい。③のガウスで「湧き出し」を、今日のストークスで「渦」を ── これで、場を読む両輪がそろった。私は、この“発散と回転の二枚で場が決まる”という簡素さが、けっこう好きなんだ。込み入って見える場も、結局は「どこで湧き、どこで巻くか」の二問に落ちる。

電気に戻る ── 静電場には、渦がない

道具を持って、電気に帰ろう。

②で「電場は保存力だ」と確かめた。一周ぶんの仕事がゼロ、Edl=0\oint \vec E\cdot d\vec l = 0 ── どんな輪で囲っても、循環がゼロ。これを今日の言葉で言い直すと、こうだ。

静電場には、渦がない(curl E=0\vec E = 0)。

どこに羽根車を浮かべても、回らない。だから②で、各点に高さ(電位)を一つ貼れた ── 渦がない流れは、坂(電位)として描けるんだ(渦があると、ぐるぐる回って高さが一意に決まらなくなる)。「保存力だから地図が描けた」の正体は、「回転がゼロだから地図が描けた」だった。

そして、上の二枚の癖でいうと、静電場は 左側 ── 放射状に湧き出すが、回らない。点電荷のまわりの電場が、中心からまっすぐ外へ広がる形(①のクーロン、③のガウス)なのは、まさにこれだ。電荷は 湧き出し(発散)の素ではあるが、渦(回転)の素ではない。③で「面で囲うと中の電荷ぶんだけ湧き出す」と数えたのは発散の側で、その裏で回転はずっとゼロを保っていた ── そのことに、今日やっと名前がついた。

下のラボで、この二つの癖を手で分けてみてほしい。流れを「一様流・ずり流れ・渦・湧き出し」に切り替えて、羽根車をドラッグして好きな場所に置くと、その点の 発散回転 が別々に表示される。ずり流れで「まっすぐなのに回る」を、湧き出しで「広がるのに回らない(=電場と同じ癖)」を、指で確かめられるようにした。

いつ、渦が立つのか

静かな世界では、電場に渦はなかった。じゃあ、②が予告した「一周して戻ったのに、仕事がゼロにならない瞬間」は、どこにあるのか。

それは、場が 動きはじめたときだ。近くの磁場が時間とともに変わると、その変化が、電場に渦を立てる ── 一周ぶんの仕事が、ゼロでなくなる。Edl0\oint \vec E\cdot d\vec l \neq 0、curl E0\vec E \neq 0。これが 電磁誘導、①で挙げた電磁気の「5つの芯」の、5番目だ。発電所がコイルの中で磁石を回して電気を起こすのも、つきつめれば「変わる磁場が、電場に渦を立てている」ことにほかならない。②で揺らぐと言った安心の正体は、これだった。

そして磁場の側にも、同じ循環が待っている。電流のまわりには、磁場が 渦を巻く。これは面で囲うガウス型ではなく、輪で囲う循環で書かれる ── Bdl=μ0I\oint \vec B\cdot d\vec l = \mu_0 I、芯の3番目、アンペールの法則だ。

歯車じかけの磁場 ── マクスウェルの遊輪

この「回転(渦)が電流を生む」という関係を、マクスウェル自身は、文字どおり 歯車仕掛け で思い描いた。せっかくなので、その絵に少し寄り道していこう。

彼の模型(“On Physical Lines of Force”, 1861頃)では、空間がびっしりと「回転する小さな渦」で埋まっていて、その渦の回転こそが磁場 B\vec B だった ── 回る速さが強さ、軸の向きが B\vec B の向き。ところが、隣り合う渦が同じ向きに回ると、接する面が逆向きにこすれて噛んでしまう。そこでマクスウェルは、渦と渦のあいだに小さな 遊輪(idle wheel) を挟んだ。ちょうど歯車列のアイドラーギアのように、こすれずに回せる小さな車だ。そして、その遊輪の正体を 電荷 とした。

ここがうまい。渦の回転が一様なら、遊輪はその場で回るだけ=何も運ばない。でも渦の回転に 場所ムラ(=磁場の空間変化=まさに回転・curl)があると、遊輪はその場で回りきれず、転がって動きだす ── この 遊輪の移動が、電流 だ。「磁場そのもの」ではなく「磁場のムラ(回転)」が電流を生む、という ×B=μ0J\nabla\times\vec B = \mu_0\vec J が、そっくり歯車の言葉に翻訳されている。④でずっと言ってきた「回転は隣との差」が、ここでも効いている。

下のラボで、その歯車を回してみてほしい。「B のムラ」を上げると、一様なあいだ静かに自転していた遊輪が、ギャップを通して電荷を送りはじめる=電流が流れる。B\vec B をいくら強くしても、一様なら電流はゼロのまま ── 効くのはムラ(回転)だけだ、というのが指で掴める。

ちなみに、この渦と遊輪の模型、機械としては正しくない(空間が本当に歯車で埋まっているわけがない)。マクスウェル自身、あとでこの機械仕掛けは捨てている。それでも彼は、この“間違った絵”から 変位電流 を見つけ、ついには 光が電磁波だ と言い当ててしまった ── 物理史でいちばん実りのあった作り話かもしれない。残ったのは、歯車ではなく、式のほうだった。

つまり今日手に入れた「循環と回転」という道具は、これから入っていく磁場と電磁誘導(芯の③④⑤)が、まさにその言葉で書かれている。静電場で「渦はゼロ」を確かめた今は、その手前 ── 静かな世界の、いちばん端だ。ここから先、場が動きだすと渦が立ちはじめる。発散(③)と回転(④)という両輪がそろったいま、電磁気のいちばん動的で面白い景色へ、ようやく踏み出せる。