|TNKS1407 解説
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誰も合図していないのに ── 自励発振の起動を、一歩一歩

2026.07.22

クロックのない回路が、電源を入れた瞬間から発振を始める。でも考えてみると変だ ── 最初は何の振動もないのに、誰が最初の一歩を踏むのか。答えはちょっと意地悪で、「完全に対称なら、始まらない」。部品のばらつきという工業製品の不完全さが点火装置になり、正帰還がそれを育て、飽和が止める。電源投入からリミットサイクルまで、回路の中の因果を一コマずつ追う。

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前回、コレクタ共振回路の主役はLCタンクで、スイッチは良い位相でエネルギーを注ぎ足す給仕だ、という話をした。タンクが揺れてさえいれば、帰還巻線がその位相を読んで、スイッチを正しい順番で動かしてくれる。

でも、ひとつ後回しにした問いがある。電源を入れた瞬間、タンクはまだ揺れていない。 帰還巻線が読むべき位相が、どこにもない。クロックもない。誰が最初の一歩を踏むんだろう。

完全に対称なら、始まらない

この回路は左右対称にできている。トランジスタが2個、半巻線が2本、帰還巻線が2本。起動抵抗は電源から両方のベースへ、同じだけの小さな電流を流し込む。

ここで思考実験をしてみる。もし2個のトランジスタが完璧に同一で、巻線も配線も温度も完璧に対称だったら、何が起きるか。

……何も起きない。左右はまったく同じだけ導通して、まったく同じだけ電流を流し、磁束への寄与はきれいに打ち消し合う。完全に釣り合ったシーソーだ。どちらかに傾く理由が、系のどこにもない。

Q1 Q2 完全対称 ── 傾く理由がない Q1 Q2 hFE がすこし大きい わずかな差 ── これが種になる
釣り合ったシーソーは、押されなければ傾かない。起動の種は、部品のばらつきそのもの。

現実の回路が起動できるのは、現実の部品が完璧じゃないからだ。VBEV_{BE} の差、電流増幅率 hFEh_{FE} の差、巻線抵抗の差、コアの残留磁束、配線容量の差、そして熱雑音。どこかに必ず、ほんのわずかな非対称がある。工業製品の不完全さが、この回路の点火装置になっている。ちょっといい話だと思わない?

一歩一歩、追いかける

では、その小さな種がどう育つのか。因果を一コマずつ進めてみる(下の遊び場では、これを回路図の上でステップ実行できる)。

1コマ目 ── 電源投入。 起動抵抗から両方のベースへ微小電流。両方のトランジスタが「うっすら」導通する。まだほとんど何も起きていない。

2コマ目 ── 差が生まれる。 仮にQ1の hFEh_{FE} がほんの少し大きかったとしよう。Q1側のコレクタ電流が、Q2側よりわずかに勝つ。差はマイクロアンペアのオーダーでいい。

3コマ目 ── 帰還が読む。 Q1側の電流が勝つと、一次巻線の磁束がわずかに動く。磁束が動けば、同じコアに巻いてある帰還巻線に電圧が誘起される。そしてここが設計の急所で、帰還巻線は「Q1をさらにオンし、Q2をオフする」極性で繋いである。

4コマ目 ── 正帰還が畳みかける。 Q1が強くオンすれば磁束はもっと動き、帰還電圧はもっと大きくなり、Q1はもっとオンする。ループを一周するたびに差が増幅される。マイクロアンペアの差が、あっという間にQ1フルオン・Q2フルオフまで開き切る。

Q1 の電流が増える 一次巻線の磁束が動く 帰還巻線に電圧が立つ Q1のベースをさらに押す 一周まわるたびに、差が増幅される
正帰還のループ。微小な差が、ループを回るごとに育つ。巻線の極性ひとつでこの向きが決まる。

5コマ目 ── タンクの番。 Q1がオンでA点が低い電圧にクランプされると、反対側のB点は、一次巻線と共振コンデンサの共振に従って半正弦を描いて上がり、また戻ってくる。前回やった通り、この曲線を描いているのはLとCだ。Q1は時間を数えていない。

6コマ目 ── 転流。 タンクが半周期の運動を終えて電圧の符号が返ると、帰還巻線に立つ電圧の極性も反転する。今度は「Q2をオンし、Q1をオフする」向きだ。導通が左右で入れ替わる。

7コマ目以降 ── 繰り返し。 あとは半周期ごとにこれが繰り返される。合図する者は最後まで現れない。タンクの運動そのものが、スイッチの交代のタイミングを配っている。

どこまで育って、どこで止まるか

起動直後の振幅は小さい。このとき、帰還がタンクに注ぎ足すエネルギーは、抵抗やスイッチで失われるエネルギーより大きい。だから振幅は成長する。教科書ふうに書くと、あるモードの蓄積エネルギーを WW、一周期あたりの注入と損失の差を PinjPlossP_{\mathrm{inj}}-P_{\mathrm{loss}} として、振幅の成長率は

σPinjPloss2W\sigma \simeq \frac{P_{\mathrm{inj}}-P_{\mathrm{loss}}}{2W}

になる。分母に2が付くのは、エネルギーが振幅の2乗に比例するからだ(エネルギーの増加率の半分が、振幅の増加率になる)。

発振回路の教科書にはBarkhausen条件 ── ループ利得が1より大きく、位相が一周で揃うこと ── が出てくるけれど、あれは「小さな揺らぎが育ち始めるか」を判定する入口の条件で、育った後のことは教えてくれない。スイッチが完全にオン・オフし切った状態は強い非線形で、線形理論の手には負えない。その先を握っているのが、上のエネルギー収支だ。

じゃあ、成長はどこで止まるのか。振幅が育つと、スイッチの飽和・入力電流の限界・負荷の増加が効き始めて、注ぎ足しの効率が下がってくる。PinjP_{\mathrm{inj}} が頭打ちになり、PlossP_{\mathrm{loss}} は振幅とともに育ち続けるから、どこかで両者が釣り合う。σ=0\sigma = 0。そこが定常振幅 ── リミットサイクルだ。

σ > 0 ── 注ぎ足しが損失に勝つ σ = 0 ── 釣り合い=リミットサイクル 電源投入 →
ほぼゼロの揺らぎが指数的に育ち、飽和で頭打ちになって一定振幅に落ち着く。破線は振幅の包絡線。

揺らぎの質、という小さな発見

この記事の遊び場を作っているとき、シミュレータがひとつ面白いことを教えてくれた。起動の種として「直流的な偏り」だけを与えると、発振しなかったんだ。注入が片側に釘付けになったまま正帰還がラッチしてしまい、電圧がゼロを跨がないから、振動が立ち上がらない。ゼロを跨ぐ微小な振動 ── 雑音のような揺らぎ ── を種にしたら、ちゃんと育った。

「完全対称なら始まらない」と対になる、もうひとつの条件だ。種は、ただの偏りではなく、揺らぎでなければならない。 実機で熱雑音や電源投入の過渡がこの役を務めてくれるのは、考えてみればずいぶん都合のいい話で、自励発振器が「電源を入れれば勝手に動くもの」でいられるのは、世界に雑音があるおかげ、ということになるね。

始まりには非対称、続きには対称

もうひとつ、綺麗な対比を置いておきたい。起動の種は非対称だった。ところが、定常運転では今度は対称が要る。

左右の半周期でトランスにかかるボルト秒(電圧×時間)が一致しないと、コアの平均磁束が一方向へ少しずつ歩いていく ── フラックスウォークと呼ばれる現象だ。トランジスタの飽和電圧の差、蓄積時間の差、巻線抵抗の差。起動のときは点火装置だったばらつきたちが、定常では磁束をじわじわ偏らせ、放っておけばコアを飽和へ連れて行く。

始まるためには非対称が要って、続けるためには対称が要る。同じ「ばらつき」が、場面によって味方にも敵にもなる。設計というのは、こういう両面を知った上で、どこまでを許すか決める仕事なんだと思う。

遊び場 ── 因果を一コマずつ

下の遊び場は、この記事そのものだ。回路図の上で「次へ」を押すたびに、起動抵抗の初期電流→ばらつき→帰還巻線の極性→正帰還ラッチ→タンクの半周期→転流→成長、と因果が一コマずつ進む。電流の通り道と、ベースの電位と、磁束の動きが色で追える。

最後のコマには「もし完全対称だったら」も入れてある。左右が釣り合ったまま、いつまでも立ち上がらない回路の顔を見てほしい。あの静けさが、この記事の答えだよ。

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前回のシミュレータ(コレクタ共振ラボ)で「起動を見る」をスロー再生するのも合わせておすすめしたい。あちらは波形で、こちらは回路図で、同じ出来事を見ている。

次回は、章の土台をもう一段掘る ── 「LとCが共振する」という一文だけでは設計に使えない話。直列と並列、Q、そして位相の勾配。